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東国三社パワースポット探しの旅 [歴史探訪]

10月16日(日)関東のパワースポット「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」を訪ねました。
この神社を訪ねたのは、昔から疑問に思っていたいろんな謎を直に感じてみたかったからです。
1.昔神宮と名のつく社(やしろ)が日本に3社存在(「伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」)そのうちなんと2社が遠く大和から離れた関東に存在した。
2.東国三社の位置関係が直角二等辺三角形の位置関係にある。
 http://www.kamisu-kanko.jp/power/index.html
3.今回訪ねた神社の周辺には変わった地名が多い。たとえば、潮来(いたこ)、行方(なめかた)など。
4.東国3社の神々は、天照大神と大国主命で有名な国譲り神話で登場する神
5.鹿島神宮は国譲り神話で最後まで抵抗した神がまつられている諏訪神社の真東の方角にある。

これらの不思議にどこまで迫れるか早速探検です。


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まずは「香取神宮」を訪ねます。
祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
大神は鹿島神宮の大神と一緒に共同し、この国に以前から住んでいた荒ぶる神々を平定したことで有名です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%8F%96%E7%A5%9E%E5%AE%AE

P1090688.JPG
歴史を感じさせる神社です。


P1090690.JPG
境内の銀杏にはぎんなんがなっていました。


P1090691.JPG
我が国国土開拓の大業を果たされた建国の大功神であると記されています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B4%A5%E4%B8%BB%E7%A5%9E

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香取神宮の正面です


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門をくぐり右の方角を見たところです。


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境内には正倉院のような建物がありました。きっと古くからの古文書などが納められているのでしょう。


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入って右奥の角から本殿を見たところです。千木が垂直(縦)に切られているので、男の神がまつられていることがわかります。また、屋根の上の丸木の鰹木が9本と奇数になっているのでこの本数からも男神をまつってあることがわかります。


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別の角度から本殿を見たところです。


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日光の東照宮陽明門を感じさせる色彩豊かな作りです。


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時の権力者が使用する五七の桐の家紋です。何か意味があると思いますが、両側の五つ花が外に傾いています。


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この神社の参道にある石灯籠がかなりの数、崩れ落ちていました。修復にお金がかかるのでしょうが、痛々しい限りです。


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「奧宮」「要石」の説明がありました。この地に地震を引き起こすナマズがいたので「要石」が押さえ込んでいるようです。最近「要石」の効力が弱まった為、石灯灯籠が倒れてしまったのか?ちなみに同じような要石がある鹿島神宮の石灯籠は一つも倒れていなかった。


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言い伝えによると、地上に出ている部分は少しだが、かなり深くまで埋まっているようです。


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奥宮にやってきました。


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奥宮の祭神は女の神?先ほど立っていた説明書きには経津主大神(男の神)となっていましたが、なぜ男の神が女性用の社殿に入っているのか大きな謎です。


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2社目の訪問は「息栖神社」です。御祭神は、鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)で、日本神話に登場する神であり、また、神が乗る船の名前です。別名を天鳥船(あめのとりふね)といいます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%AF%E6%A0%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE

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「香取神宮」とは違い、こじんまりとした神社です。


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神社の由緒が書かれています。


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本殿は新しく、コンクリート造りでした。


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参道の入り口は利根川付近です。
不思議な井戸が二つありました。


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神社の入り口は川(船着き場)と面しています。自由に動き回れる船の神がご神体ということがよくわかります。


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最後に訪れたのは三社の中で最も有名な「鹿島神宮」です。
人も多く、駐車場は有料です。境内の規模も桁外れに大きいものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE

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常陸国一宮である「鹿島神宮」はお金もかかっています。


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高い壁越しに本殿を見たところです。千木は縦切りなので男の神様であることがわかります。


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お金がかかっている神社には玉砂利が使用されているところが多いが、ここの参道は質素に砂舗装です。


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「君が代」で有名なさざれ石がありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3

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しばらく歩いて奥宮に到着です。


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奥宮の奧にはきれいな池がありました。


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大神がナマズの頭を押さえつけて地震を起こさせないようにしている石の彫刻がありました。


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ここの要石の地上部分はよく見ないとわからないような地味なものです。
説明書きによると、水戸黄門が7日間昼夜ぶっ通しで掘らせたが深すぎて底が確認できなかったそうです。


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要石の説明書きです


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767年に藤原氏は春日大社に「御分霊」を迎える際、鹿に乗せて運んだと書かれています。今現在奈良にたくさんいる鹿はここから運ばれていったことがわかります。


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国譲り神話の中心人物で戦いの神である「武甕槌大神」の説明書きがありました。

「元々は鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていた。ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になってきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。:ウィキペディア」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%85%E3%83%81

Image3.jpg
外の国から攻めてきた(侵略してきた)神々に対し最後まで戦った在来の神がまつられている「諏訪大社」の真東に「鹿島神宮」が位置する。また、真北には「戸隠神社」が位置するのは偶然か?
そして、大和の方角には外来系の神々の中でも最高神である天照大神が控えている。
最後まで抵抗した荒ぶる神を封じ込めるため大和政権は、完璧な布陣で押さえ込んでいることがわかる。

東に位置する鹿島の神は、外来神々の総大将である征夷大将軍といえる神。
北に位置する戸隠の神は、天照大神が岩戸に隠れたとき少し隙間が空いた岩戸を開き、天照大神をこの世に引きずり出した力持ちで有名な神。
そして南西の方角には最高神である太陽の神がにらみを利かす。

これでは在来の神が逃げ出して大和政権に災いを起こそうにも不可能であろう。

「天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の長男である建御名方命が、国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている:ウィキペディア」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%AE%9A

氷川神社.jpg
おもしろ半分で「息栖神社」と「香取神宮」を直線で結んだ延長上に何があるか調べてみた。
そこにはなんと国譲り神話の中心人物である大国主神を奉ってある「大宮氷川神社」があることが判明した。
大国主命の封じ込めを意図したのか?


大前神社.jpg
東国三社が二等辺直角三角形で出来ているということは・・・、その延長には何があるのか調べてみた。
その先には、「大前神社」が存在する。大前神社の祭神はなんと大国主神である。大国主命の封じ込めを意図したのか?
また、この地方には「鹿島神社」と「香取神社」が異様に多く存在する。
個人的な意見だが、太古の昔に外から新たに入ってきた渡来系侵略者(アマテラス系)と在来の民衆(オオクニヌシ系)の間にかなり激しい戦いがあった。その後平安時代に入り藤原一族が荘園を経営始めた際、日照りや疫病が蔓延したとき新たな住民は(オオクニヌシ系)のたたりが原因ではないか?と考えた。そこで、この地区で一番強力な戦いの神である鹿島の分霊をお祀りして悪霊封じを行ったのではないだろうか。

「大国主を祀る神社の代表は出雲大社(島根県出雲市)で、他に大神神社(奈良県桜井市)、気多大社(石川県羽咋市)、気多本宮(石川県七尾市)、大國魂神社(東京都府中市)、大前神社(栃木県真岡市)のほか、全国の出雲神社で祀られている。 また北海道神宮(北海道札幌市)をはじめ北海道内のいくつかの神社では、「開拓三神」として少彦名神と共に祀られている。:ウィキペディア」

http://www.oosakijinja.com/yuisyo.html

日川.jpg
息栖神社はかつて下流部の日川と利根川の合流部にあったらしい。その後、何らかの原因(氾濫多発?)があり現在の場所に807年に移している。最初の場所の推定地と他の神社を結ぶと正三角形となる。
807年に現在の場所に移すとき、なぜ今の場所なのか?なぜ香取神宮の真東なのか?なぜ鹿島神宮の真南なのか?謎はますばかりです。

息栖神社.jpg
得意技を使って息栖神社の上空から二等辺三角形の向こうを覗いてみます。するとあるとがった山が見えてきます。この写真では良く見えないので望遠に切り替えてみます。

息栖神社(望遠).jpg
すると、加波山という三角形の山が見えてきました。(日光の女峰山が写真に写っているが実際の地表面からでは見えない)この山には何があるのでしょう?
調べてみると「加波山神社」があるようです。HPを調べてみると息栖神社が現在の場所に移った時期(807年)にいろんな動きがあったようです。
「HP:当社は、第十二代景行天皇の御代(約二千年前)日本武尊の御東征(現在の東北地方を平定)に当たり、加波山に登り、三神(天御中主神・日の神・月の神)を祭り、社を建て加波山天中宮が創建されたと伝ふ。
延暦20年(西暦800年)征夷大将軍、坂上田村麿の御東征に際しても当社に戦勝を祈願され、大同元年(西暦806年)に社殿を寄進された。弘仁5年(西暦809年)には、従五位下を朝廷より賜り、第五十二代嵯峨天皇より多数の御神宝が奉納されたが、現在は、天皇の御宸筆の掛軸しか残されていません。」

http://www.kabasan.or.jp/m1/index.html

東国三社トライアングル.jpg

今回最大の謎がこれです。


大きな地図で見る
<この場所は私有地で近づくことが出来ません。所有者に迷惑がかかるので現地立ち入りは絶対おやめください>

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国譲り神話のあらすじ
出雲の有名な国譲りは、高天原の神々が、オオクニヌシに葦原中つ国の支配権を譲るように迫り、ついに承諾させるというものです。国譲りは、もちろんあっさりとスムーズに行われたのではありません。
 高天原から、最初は天穂日命(あまのほひのみこと)が、次には天稚彦(あまのわかひこ))が国譲りの交渉役に遣わされますが、どちらもオオクニヌシに従ってしまって、高天原に帰ってこない。そこで武甕槌神(たけみかつちのかみ)【鹿島神宮】と天鳥船神(あまのとりふねのかみ)【息栖神社】(『日本書紀』では武甕槌神と経津主神(ふつぬしのかみ)【香取神宮】)が遣わされ、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫るというものです。
 オオクニヌシは、ふたりの息子に意見を求めようとします。すると、釣りに出ていた事代主神(ことしろぬしのかみ)は国譲りに承諾しますが、もうひとりの息子、健御名方神(たけみなかたのかみ)は反対します。
 そこで、健御名方神と武甕槌神の間で力競べが行われ、オオクニヌシの息子が敗れてしまいます。そのために、とうとう国譲りが実行されるのです。敗れた健御名方神は諏訪まで逃げ、その地に引き籠もって諏訪神社の祭神になったとされています。
 いずれにしても、これは国譲りという説話になってはいますが、実際は、剣を突き刺して迫り、そのあげく力競べをするというように、武力で奪い取った色彩が強い。いわば、オオクニヌシが造りあげた国土を天孫族【漢字と鉄剣を持ち込んだ大陸系の部族】が武力で奪っているわけです。


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