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福岡神社探訪【筥崎宮】【住吉神社】 [歴史探訪]

10月22日(土)、23日(日)に博多を訪問したときに筥崎宮と住吉神社を訪れました。その時のレポートを行います。

【筥崎宮】

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筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命をお祀りしています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。

鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
http://www.hakozakigu.or.jp/history.php

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街中にある神社ですが、広く長い参道が残されています。

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歴史を感じさせる立派な神社です。
<楼門>
文禄3 年(1594)筑前領主小早川隆景が建立。三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮茸(ひわだぶき)で83 坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物。
「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれる。<公式HP>


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応神天皇(おうじんてんのう)[八幡大神]
神功皇后(じんぐうこうごう)[応神天皇の母君]
玉依姫命(たまよりひめのみこと) [海の神・神武天皇(じんむてんのう)の母君]

ここの祭神は「宇佐神宮」と似ていますが、「比売大神」と「玉依姫命」の御祭神が異なるようです。


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立派な「手水舎」

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敵国降伏の御宸筆は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。
たて十七・五センチ、よこ18・3センチで全部で三十七葉あります。
社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があります。特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有名です。
楼門高く掲げられている額の文字は文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したものです。<公式HP>

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訪れた日はちょうど七五三の季節でした。かわいい子供たちがたくさん参拝していました。


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<西末社>
龍王社:海と空の守り神
若宮殿:芸能文化の守り神
仲哀殿:八幡様の親神、家族の守り神
嚴島殿:旅行安全の神
民潤社:火除の守り神

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<東末社>
池島殿:手足の守り神
武内社:不老長寿、健康の神
乙子宮:子育ての神
住吉殿:海上交通の守り神
稲荷社:商売繁昌の神、田畑の守り神

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<ご神木筥松>
楼門そばの朱の玉垣で囲まれた松です。筥松またはしるしの松と呼ばれるこの神木は、応神天皇がお生まれになったときの御胞衣(胎盤)を箱に入れ、この地に納めたしるしとして植えられた松です。
この地は、もともと葦津ヶ浦と呼ばれていましたが、この箱が納められたことで箱崎と呼ぶようになりました。

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<筆塚>

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<湧出石>
古くは地面から露出した部分で天変地異を占った。
この石に触れると運が湧き出るといわれ、招福開運の信仰があります。また国に一大事があるときに地上に姿を現すという、古い言い伝えがある石です。
もしかしたら元寇の時地上に姿を現したかも?

説明書きによると有名な「パワースポット」であるとのこと。早速撫でさせて頂きます。

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<さざれ石>
ここにも君が代で有名なさざれ石が置かれていました。「鹿島神宮」のものより小ぶりでした。

【碑文】
この石は、国歌君が代に詠まれている「さざれ石」です
 岐阜県と滋賀県の境の伊吹山の麓に産し 学名を石灰質礫岩と云い 永年の間に石灰質が雨水で溶けて生じた粘着力の強い乳状液が 小石を凝結して次第に巨岩となり苔むす


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「元寇」に関係するものも展示していました。

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<大楠>
かなりの迫力を感じました。

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長い参道が西を向いていることから、もしかしたら夕日が参道を通じて本殿に差し込むのではないだろうか?また、ある特定の日に夕日が差し込むように本殿の方向、参道の方向を決めたかもしれない。もしかしたら、古代のアステカの遺跡のように春分の日に神殿に蛇が浮かび上がる、などすごいことがおこるかも?
ということで、早速カシミールで調べてみます。
条件としては、「拝殿に設置した鏡が地表から5mの場所にある。」「2011年の何月何日に参道の後方に太陽が沈むか。」とします。
結果は、2012年7月28日 19時17分44秒となりました。イメージとしては、この時間が来ると本殿に設置した良く磨き上げられた三角縁神獣鏡がきらっと光る瞬間です。その風景を見て参拝者は神の神々しさを体感するでしょう。(厳密な座標がわからない図上での見通しで判定しているのでちょうどその時間に参道の向こうに太陽が沈むとは限りません。また、参道の街路樹も考慮していません。よって、光が届くかは全く想像です。この時間期待して参拝して光が届かない場合ご容赦願います。)
7月28日は夏至である7月22日に近いので、この神社を建立した当時の夏至に沈む太陽の方角に向けて参道、拝殿を計画したのではないでしょうか。

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2012年7月28日 19時17分44秒時点太陽が沈む方向には何があるのだろう?ということで、拡大写真がこれです。
この場所は「壱岐市芦辺町」となります。おもしろいことに芦辺町でも町域は「箱崎江角触」、「箱崎釘ノ尾触」、「箱崎大左右触」、「箱崎谷江触」、「箱崎中山触」、「箱崎本村触」、「箱崎諸津触」なのです。福岡の筥崎宮がある場所も「福岡市東区箱崎」と箱崎なのです。「筥」は恐れ多いとして「箱」を使用しているそうです。壱岐の箱崎は「筥崎宮」と関係あるのか謎です。また、「触」という字も曰くがありそうです。時間があれば是非調べてみたいとは思います。


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この日は時間が余ったので、福岡市博物館を訪問しました。目的は黒田節で有名な「日本号」を直接見ることです。訪問してわかったことですが、この博物館のメイン展示物は「金印」でした。通常この博物館は金印を見に訪れる人がほとんどのようです。

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金印はじっくりと見ましたが撮影禁止でした。仕方がないのでポスターを撮影しました。
どうしてこんな重要なものが田んぼにあったのか?
誰がここに埋めた(置いた)のか?
自分の想像では、どこかの有力者が秘蔵していたが、自己の呵責に耐えかねて表に出す事にした。そのとき、大陸から持ち帰る船が通ったであろう海岸付近の田んぼから出土したように仕組んだのではないのだろうか?どう考えても不思議なすごいミステリーです。

http://museum.city.fukuoka.jp/jb/jb_fr2.html

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ここと訪れた目的の槍「日本号」も撮影禁止でした。そこで、せめてと思いポスターを撮影しました。
「日本号」は全くすばらしいもので、緻密な彫刻、美しい螺鈿、最高傑作の芸術品です。都合30分くらい見つめ続けてしまいました。感動、感激です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B7_(%E6%A7%8D)


元来は皇室所有物(御物)で、正三位の位を賜ったという伝承から、「槍に三位の位あり」と謳われた。正親町天皇より室町幕府十五代将軍である足利義昭に下賜され、その後、織田信長を経て豊臣秀吉に渡り、秀吉より福島正則に与えられた。前述の逸話を経て黒田如水の家臣である母里友信が福島正則より貰い受け(酒を飲み干して無理矢理(槍)もらったもの)、朝鮮出兵の際に自身の危機を救った礼として友信より後藤基次に贈られた。

如水の死後、後藤基次が黒田家を出奔する際に野村家(基次の娘が母里友信の弟、野村祐勝の長男祐直に嫁いだため)に渡されて、以後長く伝えられた。大正時代に同家を離れたが、旧福岡藩士出身の安川敬一郎と頭山満の二人が、日本号は福岡の地を離れるべきではない、と大金で購入して、旧藩主黒田家に贈与した。その後、黒田家より福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵品として展示されている。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/charm-kankou/ch-jouhouhassin/meisonihongo.html


http://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/133aa1a9c293c670c6872316940ad22a



【住吉神社】

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翌日は住吉神社に参拝しました。

<住吉神社>
住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)を主祭神とし、天照皇大神・神功皇后を配祀する。日本全国に約二千社ある住吉三神を祀る神社の中で最も古い神社であるとされ、古書には「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されている。ただし、現在の全国の住吉神社の総本社は大阪の住吉大社である。大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社の三社が日本三大住吉とされる。

創建年代は不詳であるが、神社の縁起では、日本神話の神産みの段、黄泉から帰還した伊弉諾尊が禊祓を行った「筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原」が住吉神社の地であるとし、その禊祓で住吉三神などが生まれたので当社が住吉神社の始源であるとしている。国史では、『続日本紀』の天平9年(737年)4月1日条に筑紫住吉などに使いを遣わしたとあるのが初出である。延喜式神名帳では「筑前国那珂郡 住吉神社三座 並名神大」と記載されている。

古代の博多湾は住吉神社の前まで海が入り込んでおり、元々の建物は海に向かって建てられていた。

現在の本殿は黒田長政が元和9年(1623年)に再建したもので、国の重要文化財に指定されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82)

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朱色が鮮やかな神社です。

<歴史>
当社の歴史は、およそ1,800年以上前に遡ります。全国に2,129社ある住吉神社の中でも、最初の神社と云われており、古書にも当社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されています。(公式HP)
http://chikuzen-sumiyoshi.or.jp/index.html

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もうじき大相撲博多場所が始まります。その時に横綱の土俵入りを行うようです。

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立派な樹木がありました。

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1月に行われる追儺祭(ついなさい)では鬼が登場して、「鬼は外、鬼は外」と豆をまいたあとに、鬼に扮した人が注連縄を焼く火の回りを3回ほど回り、その後、神官によってつかまり、縄で縛られ、「鬼縛り石」と呼ばれる石に縛り付けられるそうです。
どんど焼きと節分を合わせたようなイメージの神事があるようです。

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「凡そ五百七十年程昔 後花園天皇の御代永享11年 住吉宮の御社殿御造営の時に 年を経た松が斜に傾いて大きな枝が御屋根をこすって危なかしいので 皆々相談の上伐ってしまう事に決めた處 その松が一夜のうちに まっすぐに立ち直ったので人々はその不思議に驚き 御神威の有難さを畏み「一夜の松」と称えて崇め敬うようになった・・・」と説明板にある。


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朱の色が映える本殿です。

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今日は結婚式が予定されているようです。白無垢を着たきれいな花嫁さんが写真撮影を行っていました。

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苔むした歴史を感じさせる狛犬です。頭に一つ角があります。

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結構大きな神社にある土俵がここにもありました。


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