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旧海軍史跡巡り<軍艦「阿蘇」> [歴史探訪]

夏休みを利用して、広島呉、江田島地区の海軍の史跡巡りを計画しました。今回のテーマは、呉軍港周辺で沈没した軍艦です。
今頃なぜこんなテーマで調べることになったのかというと、先日の8月6日に海上自衛隊のヘリ空母「いずも」が横浜の造船所で進水式を迎えました。このヘリ空母は「ひゅうが」、「いせ」につづくもので3艦目の船となります。何気なくネットで調べてみるとこの同名の艦は旧海軍の軍艦にも名付けられており、偶然呉軍港の周辺で沈没し終戦を迎えたことが判明しました。そこで今回は、新生日本のため最後まで戦い抜いて沈んでいった鎮魂の場所を訪ねてみることにしました。

地図(阿蘇).jpg
第八弾として航空母艦「阿蘇」を取り上げてみます。
「阿蘇」は倉橋島北東部の奥ノ内沖に係留されていました。


Japanese_battleship_Ise_burning_at_Kure_28_July_1945.jpg
米軍が撮影した写真の奥に「阿蘇」の姿がみえます。






雲龍型.jpg
阿蘇(あそ)は日本海軍の未成航空母艦。雲龍型航空母艦の5番艦。艦名は九州の阿蘇山による。艦名は装甲巡洋艦の「阿蘇」に次いで2代目。
候補艦名は身延


Japanese_aircraft_carrier_Aso.jpg
「阿蘇」は、昭和17年(1942年)9月に策定された改⑤計画の第5006号艦として計画され、雲龍型航空母艦の五番艦であった。昭和18年(1943年)6月8日、広島県の呉海軍工廠で起工され、昭和19年(1944年)11月1日に進水、同年11月9日に工事が中止された。工事進捗は60%であった。

昭和16年(1941年)11月に策定された昭和十六年度戦時建造計画では、中型航空母艦1隻(後の「雲龍」)が計画されていたが、昭和17年(1942年)と昭和18年(1943年)に竣工予定の正規空母は1隻も無かった。そして、同年12月8日に大東亜戦争が開戦し、半年後の昭和17年(1942年)6月、ミッドウェー海戦に於いて、日本海軍は主力正規空母4隻(「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」)を喪失、これを補う為の空母の増産が急務となった。
そこで、昭和16年(1941年)に策定された第五次海軍軍備充実計画(⑤計画)を、昭和17年(1942年)9月に改⑤計画として改定、新たに雲龍型空母15隻の建造を計画した。雲龍型空母は、中型空母「飛龍」を原型とし、小改良を加え、構造の一部を簡略して量産性を高めた戦時急増型空母であった。
これら、空母大増産計画に基づき、昭和17年(1942年)中には、雲龍型空母の一番艦~三番艦(「雲龍」「天城」「葛城」)が起工、続いて、昭和18年(1943年)4月には四番艦(後の「笠置」)も起工、更に、同年6月8日、広島県の呉海軍工廠に於いて、五番艦(後の「阿蘇」)が起工した。この時、同じ呉海軍工廠では、雲龍型空母三番艦「葛城」の建造も進められていた。


aso02.jpg
しかし、戦局の悪化に伴い、損傷艦の修理や他艦種の建造が優先され、更に、資材や労働力の不足が深刻になり、「阿蘇」の工事は遅れがちとなっていた。また、当初搭載予定の機関の調達が困難になった。そこで急遽、陽炎型駆逐艦の機関を2基搭載する事になり、計画出力の15万2000馬力から10万4000馬力に減少、その為、最高速力も計画値の34ノットから32ノットに低下する事になった。
そして、起工から約1年半後の昭和19年(1944年)11月1日に「阿蘇」は進水した。
併しながら、この時点では、6月のマリアナ沖海戦と10月のレイテ沖海戦によって日本海軍連合艦隊は事実上壊滅しており、以後、組織的な艦隊行動が行われる見込みは無かった。また、航空機や搭乗員の不足によって母艦飛行隊再建の目処もたたず、先に竣工していた同型艦「天城」「葛城」は、載せる飛行機も無いまま広島県の呉軍港外に繋留されていた。更には、燃料事情の逼迫によって艦を動かす燃料にすら事欠く状態だった。
進水後の「阿蘇」は殆ど艤装作業も行われず、同年11月9日に工事の中止命令が出された。作業進捗60%で、艦体はほぼ完成していたが、上部構造物は未完成の状態だった。「笠置」は、広島県の呉軍港付近の倉橋島北東部の奥ノ内沖に回航されて放置された。その後、昭和20年(1945年)7月、「阿蘇」は、陸軍の新型爆弾「さくら弾」の効果を確認する標的艦となった。「さくら弾」は、成型炸薬を使用した特攻機用爆弾であった。「さくら弾」の爆発による被害は軽微であったが、この時に浸水して傾斜し、やがて着底した。
そして、昭和20年(1945年)8月15日、着底したまま終戦を迎えた。その後、昭和21年(1946年)12月20日に播磨造船所呉船渠(呉海軍工廠)によって浮揚作業が行われ、翌21日から解体作業が開始された。そして、昭和22年(1947年)4月26日に解体が完了した。

引用:http://sakurasakujapan.web.fc2.com/index.html


阿蘇

<計画時:昭和19年(1944年>

基準排水量:17260トン
公試排水量:19880トン
満載排水量:22534トン
全長227.4m 水線長:223m 全幅:22m 喫水:7.76m
飛行甲板全長:216.9m 飛行甲板全幅:27m
主機:艦本式オールギヤードタービン4基
缶:ロ号艦本式重油専燃缶8基
出力:10万4000馬力
燃料:3670トン(重油)
最大速力:32.ノット
航続距離:18ノット・8000海里
搭載機数:常用機51機・補用2機(計画)
       艦戦 常用18機・補用2機 (艦上戦闘機「烈風」)
       偵察 常用6機 (艦上偵察機「彩雲」)
       艦攻 常用27機 (艦上攻撃機機「流星」)
搭載航空兵装:800キロ爆弾72発・250キロ爆弾240発
          60キロ爆弾260発・30キロ爆弾144発・魚雷36本
着艦制動装置:空廠式三年式一〇型4基12索
着艦制止装置:空廠式三年式一〇型3基
兵装:12.7センチ連装高角砲6基12門 (四十口径八九式十二糎七高角砲)
    25ミリ三連装機銃21基63挺 (九六式二十五粍高角機銃)
    25ミリ単装機銃30基30挺 (九六式二十五粍高角機銃)
    12センチ28連装噴進砲6基168門
    二号一型電探2基・一号三型電探1基
乗員:1500名

昭和18年(1943年)5月2日:呉海軍工廠(広島県)に発注。
昭和18年(1943年)6月8日:呉海軍工廠(広島県)で起工。
昭和19年(1944年)9月5日:軍艦「阿蘇」と命名。
昭和19年(1944年)11月1日:呉海軍工廠(広島県)で進水。呉鎮守府籍に編入。
昭和19年(1944年)11月9日:工事進捗60%で建造中止。
昭和20年(1945年)4月25日:呉軍港外(広島県)の倉橋島に繋留。
昭和20年(1945年)7月:陸軍の特攻機用爆弾「さくら弾」の標的艦となる。
昭和20年(1945年)8月15日:着底したままで終戦を迎える。
昭和21年(1946年)12月20日:浮揚作業完了。
昭和21年(1946年)12月21日:呉海軍工廠(広島県)で解体開始。
昭和22年(1947年)4月26日:呉海軍工廠(広島県)で解体完了。





■ 昭和20年(1945)5月 特攻戦果に疑問あり 未完成空母阿蘇 爆撃実験

1945年(昭和20年)に入ると撃沈したはずの米艦が沈んでいないことが判明してくる。 そこで 5月進水したものの物資・資材不足で艤装できない空母阿蘇を呉沖(倉橋島大迫・特殊潜航艇基地沖)に引き出し 陸海最強の爆弾投下実験を行った。委員長は呉海軍工廠の妹尾知之工廠長(任期:1945年5月1日~) 投下したものの阿蘇の傾斜は1度程度傾いただけ。更に爆弾を強力にし2回目を6月に実施。前回より少しはましで5度程度傾いたが沈没にはほど遠い状態。 次の実験を7月に予定していたところ、米艦載機の爆弾で見事着底(1945/07/24)。

関係者一同。日本軍の爆弾の威力のなさに愕然。かくも威力のない爆弾で死ねと命じたことは痛憤に堪えない。 とある。高威力だったら痛憤は起きなかったのか。この、「痛憤に堪えない。」の話は 光海軍工廠の記録「光工廠譜」にある。それほど当時の日本海軍兵学校や大学校出身者全体が科学技術音痴であった。

http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/tokkou/tokkou_3.htm






pl41-9.jpg

http://www.vspg.net/jcg/pl41-aso-class.html

海上保安庁(1) あそ級巡視船(1/3)PL41
2002計画1000T型(高速高機能型)巡視船として三菱重工業下関造船所で03.12/18起工04.10/28進水05.3/15

現役の「阿蘇」です。すばらしく立派になって活躍中です。
先代の阿蘇は完成間近で放置され、自国の爆弾により攻撃実験を受けるというつらい最期を遂げましたが、これで先代も浮かばれるでしょう。欲を言えば、「いずも」型護衛艦の2番艦の名前に「阿蘇」がつけられると良いなと個人的に思っています。(護衛艦「日向」は天孫降臨の場日本国誕生の地、続く「伊勢」は太陽神であり天皇家の祖、天照大神を祭っている場所。それから、「出雲」は天孫降臨前から日本国の神である大国主命を祀ってある国。こう続いてくると、古代からの大神様が祀られている国は、宇佐神宮(豊前)?諏訪大社(信濃)?、厳島神社(安芸)?、鹿島神宮(常陸)?住吉大社(摂津)?になるのか?)

この艦には数奇な事実もあるのです。それは、
「05.3/15竣工し2/12第3管区海上保安部横浜海上保安部に配属されあまぎと改名した巡視船(PL121)げんかいの代船として第7管区海上保安部福岡海上保安部に配属」
あまぎの代わりに配属された船なのです。代わりになる前に改名(作為的?)されているのです。雲龍型の三号艦「天城」に続くのは「阿蘇」であるかのように、これはまるで先代の「阿蘇」の鎮魂そのものではないでしょうか。たぶん、関係者による強い思いが働いているのでしょう。その一部の関係者は後世にまさかこの事実に気づく人がいるとは考えもしなかったでしょう。(あくまでも私感です)



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