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国譲り神話の謎 [歴史探訪]

10月16日(日)関東のパワースポット「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」を訪ねたことを受けて、いろんな事に関心が向きました。
特に「国譲り神話」が作られた背景には、かなり興味をそそられいろんな角度から謎の解明に取りかかる始めました。

再掲(おさらい)
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国譲り神話のあらすじ
出雲の有名な国譲りは、高天原の神々が、オオクニヌシに葦原中つ国の支配権を譲るように迫り、ついに承諾させるというものです。国譲りは、もちろんあっさりとスムーズに行われたのではありません。
 高天原から、最初は天穂日命(あまのほひのみこと)が、次には天稚彦(あまのわかひこ))が国譲りの交渉役に遣わされますが、どちらもオオクニヌシに従ってしまって、高天原に帰ってこない。そこで武甕槌神(たけみかつちのかみ)【鹿島神宮】と天鳥船神(あまのとりふねのかみ)【息栖神社】(『日本書紀』では武甕槌神と経津主神(ふつぬしのかみ)【香取神宮】)が遣わされ、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫るというものです。
 オオクニヌシは、ふたりの息子に意見を求めようとします。すると、釣りに出ていた事代主神(ことしろぬしのかみ)は国譲りに承諾しますが、もうひとりの息子、健御名方神(たけみなかたのかみ)は反対します。
 そこで、健御名方神と武甕槌神の間で力競べが行われ、オオクニヌシの息子が敗れてしまいます。そのために、とうとう国譲りが実行されるのです。敗れた健御名方神は諏訪まで逃げ、その地に引き籠もって諏訪神社の祭神になったとされています。
 いずれにしても、これは国譲りという説話になってはいますが、実際は、剣を突き刺して迫り、そのあげく力競べをするというように、武力で奪い取った色彩が強い。いわば、オオクニヌシが造りあげた国土を天孫族【漢字と鉄剣を持ち込んだ大陸系の部族】が武力で奪っているわけです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%AE%9A

今回までに判明した謎を発表します。

伊勢から諏訪.jpg
前回までの調査で、諏訪大社から伊勢神宮まで南西の関係がある事がわかった。その後の調査で、その直線上に岐阜の恵那山があることが判明。これは何か関係があるのかな?ということで、ネット調査です。
その結果、
・恵那神社は延喜式神名帳 (927年/延長5年) にも記載されている恵奈郡三座のうちの一つ。
・恵那山は恵那郡第一の髙峰にして (二一九〇米) 神代の世、天照大神の御胞衣を此の山頂に納めた。
・恵那神社の鎮座させられたるも神代の時なり。
・古事記、日本書紀に日本武尊この山に御登拝の記事あり。
・恵那神社の主祭神は天照大神の親である伊邪那岐、伊邪那美。また摂社に天照大神も祀られている。
・山頂付近のヒノキは、昔は伊勢神宮に奉納されていた。
・倭姫命が天照大神をお祀りする地を探している時にこの地を仮宮とし、占いをして現在の伊勢神宮に遷座したという新説である。(伊勢神宮が現在の場所に決まるまで各地を移動した事は日本書紀に書かれており、その地は元伊勢と呼ばれている。そして「倭姫命世紀」によれば岡山から岐阜にかけて 26 ヶ所にも及ぶということである)

いろいろと曰くがありそうです。
特に伊勢神宮の位置を決めるのにこの山に登ったという記述が気になります。個人的な推定ですが、この山に登り、諏訪大社と恵那山が通過する延長線上に伊勢神宮を設置したかもしれません。
もちろん一番の目的は大和朝廷に最後まで抵抗した在来の神がヤマト地方に災いを持ち込まなくするためでしょう。


出雲から恵那山.jpg
大国主命が鎮座する出雲大社の真東(春分と秋分に太陽が昇る方向)を見てみると、信仰の霊峰で有名な大山、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が死んでしまう原因となった伊吹山、そしてなんと恵那山も真東に当たります。これらの日の出の方角にあるパワースポットが、大国主命がこの世でたたりを起こさないように押さえ込んでいるのでしょう。


正三角形.jpg
ここでも正三角形の関係で古い神社の存在が判明しました。

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は滋賀県長浜市の竹生島にある神社。竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)とも。式内社で、旧社格は県社。
社伝では、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る小祠が作られたのに始まると伝える。『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%B9%85%E5%A4%AB%E9%A0%88%E9%BA%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE

御所太極殿地面から10mから伊勢神宮.jpg
少し見方を変えて得意のカシミールで平城京の太極殿(地上から10m)に立って日の出を見たとき、伊勢神宮の方向から昇ってくる日はいつか調べました。
2011年でいうと、10月25日6時31分に伊勢神宮方向の春日山から日が昇ることが判明しました。この方角をよく見ると、藤原一族が鹿島神宮から分霊して守り神とした春日大社の方角と伊勢神宮が同方向であることが判明。つまり、平城京と伊勢神宮の間に春日大社(鹿島神宮)があります。また、勉強不足でわかりませんが、10月25日前後の日にちが天皇家および藤原氏にとって何らかの意味がありそうです。もしかしたら、伊勢神宮のHPに書かれている神嘗祭(かんなめさい)【神嘗祭はその年の初穂を、神々に捧げるという意味がある。年間の中でも最重要の祭りです。「神々の正月は神嘗祭」とも言われ、祭り器具など出来る限り新調します。】の頃を指しているかもしれません。


伊勢神宮から夏至の夜明け.jpg
夏至に伊勢神宮から見える日の出はどの方角から出てくるか調べてみました。すると、5時24分に鹿島神宮の方角の山から太陽が顔を覗かせることが判明。


伊勢神宮から夏至の日没.jpg
夏至に伊勢神宮から見える日の入りはどの方角か調べてみました。すると、17時53分に出雲大社の方角の山に太陽が沈むことが判明。この結果は自分にとって驚きでした。
今の時代では今回使ったカシミールを使えば簡単に日の出日没が判明しますが1200から1300年前に計算が出来たとすると大変な事であったと思われます。


全相関関係.jpg
今回わかったことを図示してみました。
・出雲大社(大国主命)の真東には、大山、伊吹山、恵那山がある。
・平城京は、出雲大社と伊勢神宮を結ぶ直線上に位置する。
・平城京の日の出の方角に春日大社(鹿島神宮)と伊勢神宮がある。(太陽神が日の出の方角から都を守っているのか。)
・平城京からみて、4月28日と8月16日の日の入りの方角に出雲大社が位置する。
・夏至(6月21日)には、伊勢神宮から見る太陽は鹿島神宮がある方角から昇ってくる。
・夏至(6月21日)には、伊勢神宮から見る太陽は出雲大社がある方角に沈む。
・伊勢神宮から考えて鹿島神宮までの距離と出雲大社までの距離は390キロで同じ距離。
・諏訪大社と伊勢神宮のを結ぶ延長線上に恵那山がある。
・諏訪大社の真東(日の昇る方角)に鹿島神宮がある。




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