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広島地区旧海軍史跡巡り [歴史探訪]

春の連休を利用して、広島呉地区の海軍の史跡巡りを計画しました。優先順位として、①旧海軍兵学校の見学、②呉鎮守府庁舎の見学、③呉鎮守府長官公邸の見学、④大和ミュージアムの見学、歴史探訪と関係ないがついでに護衛艦の見学と鉄のクジラ館、おまけとして平清盛の伝説地の見学としました。

スケジュール的には
4月29日(日) 10:00から護衛艦の見学 → 大和ミュージアム → 呉鎮守府庁舎 → 歴史の見える丘 → 入船山記念館 → 鉄のクジラ館
4月30日(月) 旧海軍兵学校の見学 → 原爆ドーム → 終了
を計画しましたが、30日はあいにくの雨で一番の目標であった旧海軍兵学校の見学は中止となりました。

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大君の王泊地区の漢字が間違っています。画像を修正するのがめんどくさいのでこのままでご容赦ください。

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【呉音戸地区】

呉市音戸地区にある「平清盛公日招像」です。昔何度か来たことがありますが、NHKの大河ドラマの関係で非常にきれいに整備されていました。

(平清盛公日招像の碑文より) 対宋貿易と厳島参詣のための海上の捷路(近道)音戸の瀬戸開削工事を指揮した平相国清盛公が、永萬元年(一一六五年)七月十日 沈む太陽を中天に招きかえして、その日のうちに、この難作業を完成させたという古来の伝説にもとづき、瀬戸開削八百年を記念して、当時四十八才の清盛公の英姿を ゆかりの地日迎山高烏台に建立してその遺徳を偲び、あわせて海上交通の平安を永世に祈願する所以である。 銅像原型は林 健の作である。 昭和四十二年七月吉日 社団法人 呉観光協会々長 増岡博之

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この写真は6年前に撮ったものです。通常はこんなに汚いものでしたが、NHKの力は偉大です。

全国的に平清盛といえば東大寺の大仏を焼いたり、武士でありながら藤原摂関政治のまねをして娘を天皇に嫁がせたり非常に悪者のイメージがあります。しかし、この地区では偉大な大政治家(最高統治者)として丁重に敬まられています。原因としては、この地区に偉大な功績を残している事や、情け容赦ない源氏の一方的な弾圧により滅ぼされた敗者への同情、平家は瀬戸内海が本拠地であったなどでしょう。


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展望台から南の四国方面を見たところです。よく見ると遠くに四国が見えます。とても風光明媚なところです。

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平清盛公日招像のすぐそばに、日招き岩がありました。この岩の上に平清盛が立って西に沈みかけた太陽を扇を使って元に戻したそうです。

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太陽さえ自分の意のままに操れるほど清盛の権力が絶大であった、ということを象徴した伝説にあわせてちょうどいい具合にこの石があったのか?この石の存在にあわせて日招き伝説ができたのか?

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この岩に立って日の沈む西の方角を望むとちょうど音戸ノ瀬戸が見えます。


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後日おもしろいことに気づきました。先ほどの現地の説明書きに「1165年7月10日 沈む太陽を中天に招きかえして」という記述がありましたが、得意のカシミールで調べてみると今年の7月10日音戸大橋駐車場(当時の工事現場)から見た日の入りの場所は厳島神社の方角となります。1165年の7月10日(旧暦?)と現在の7月10日(新暦?)とのあいだでどの程度補正しなくてはいけないのか全く不明ですが、こう考えると歴史ロマンを感じませんか。
天照大神(=太陽)を始祖とする天皇家の象徴である太陽を、平清盛は厳島神社の力も得てなんと意のままにコントロールしてしまった。平家側の偉い僧侶(ブレーン)が、清盛の力が絶大であったいうことを暗に後世に伝えるためにこのような伝説(謎かけ)を残したのではないでしょうか。
「清盛は天皇家も自由にコントロールした。」という事実が、「日招き伝説」に隠されているのでしょう。

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明治32(1899)年、日清戦争のため、陸軍によって砲台、火薬庫、 兵舎などがこの地に築かれました。 明治中期の軍港を護る要塞砲の形式としては珍しいもので、後に海軍所管となり、 太平洋戦争時には専ら防空砲台として使用されていました。(現地説明書きより)


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日招きの像や日招岩、砲台跡の位置関係の説明がありました。
神武東征、八咫烏といえば紀伊国(和歌山県)を思い浮かべますが、この地区にも伝承があるようです。機会があれば調べてみたいものです。

高烏台のいわれ  瀬戸内海の景観を望むこの台地を「高烏台」と名付けたのは旧海軍が要塞砲台を管理し、これを「高烏台」と呼んでいたことによるものです。  高烏山はこの台地の北方休山連峰の中腹にあり神武天皇御東征の砌、八呎烏が御先導の道をたずんね、翼を休めたという伝説のあるところです。  呉湾に浮かんでいた烏小島も空海軍の拡張工事のため惜しくも削り取られてその島影を失ったが、厳島神社に仕える親子烏がこの島で鳴き別れたという言い伝えなどもあり、烏に因む地名が多いです。  昭和三十六年大蔵省より旧海軍用地の貸与を受け、この一帯を都市公園として整備しました。


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【大君王泊地区】

時代的に源氏が勢力を広げつつあるなか、この地区における平家への対応は好意的であったと思われます。そのためか、この地にしばらくとどまり政務を執り行っていたようです。その後、源氏の追っ手が迫ったことから壇ノ浦に向けて旅立っていったのでしょう。壇ノ浦から軍勢を呼び寄せて呉地区で源氏を迎え撃った場合歴史が変わっていたかもしれません。

平家口碑 安徳天皇と三種神器を奉じた平宗盛の率いる軍勢は、源義経の急迫を逃れ軍船を連ねて長門国壇浦に向かう途次、当地(多海ー大美)に上陸した。 当地の豪族秀栄は快く一行を迎えた。 宗盛は大いに喜び、地名を「大君」と改めるように命じた。それ以来全国的にも珍しい地名が生まれた。 そのほかにも王泊、匿宮山、御立山など、往古を偲ぶ地名が現存している。 昭和56年4月 大柿町 大柿町観光協会(現地案内板より)

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【呉港湾地区】

29日(日)は海上自衛隊護衛艦「いなずま DD105」の見学からスタートです。
結構人気があるようで日本中から見学者が集まってきていました。

<海上自衛隊 HP> http://www.mod.go.jp/msdf/formal/gallery/ships/dd/murasame/105.html いなづま(ローマ字:JS Inazuma, DD-105)は、海上自衛隊の護衛艦。むらさめ型護衛艦の5番艦。旧海軍の雷型駆逐艦「電」、吹雪型駆逐艦「電 (吹雪型駆逐艦)」、いかづち型護衛艦「DE-203 いなづま」に続き日本の艦艇としては4代目。 「いなづま」は中期防衛力整備計画に基づく平成7年度計画4,400トン型護衛艦、2234号艦として三菱重工業長崎造船所で1997年5月8日に起工し、1998年9月9日に進水、2000年3月15日に就役した後に第4護衛隊群第4護衛隊に配属された。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%A5%E3%81%BE_(%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6%E3%83%BB2%E4%BB%A3)

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岸壁を歩いて行くと目指す艦船がどんどん近づいてきます。


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身近に見上げる艦船はとても勇壮で、頼もしく感じられました。

http://www.vspg.net/jmsdf/dd105.html

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入り口には幹部の方々に出迎えていただきました。


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現役艦船の見学は初めてで、実際主砲を身近に見ましたが「こんなに小さいの?こんなんで大丈夫」といった感じでした。戦艦といえば戦艦大和、主砲は46センチ・・現代戦ではミサイルや飛行機が主体で実際はドンパチすることはないのでしょう。

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血がこぼれたようなペイントがありました。センスとしてはイマイチかな(もしかして、補修中?)

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岸壁の真向かいに「練習艦かしま」が係留されていました。こちらの艦の方が大きくて堂々とした艦船でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%BE_(%E7%B7%B4%E7%BF%92%E8%89%A6)

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たぶん使われていないのでしょう。潜水艦がプカプカうかんでいました。


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この建物は呉中央桟橋にある「大和ミュージアム」です。このミュージアムの見学は今回で二度目です。


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「大和ミュージアム」の隣には海上自衛隊の活動をPRするための「鉄のクジラ館」があります。


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早速「大和ミュージアム」の中に入ります。入ったらすぐに迫力のある「戦艦大和」が出迎えてくれます。何度見ても迫力ある模型です。
http://www.yamato-museum.com/

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※「海龍」後期量産型 ●全没排水量:19.268t ●主要寸法:全長17.28m×直径1.3m ●水上速力:7.4kt 水中速力:9.7kt ●主要装備:45センチ魚雷×2 頭部弾薬600キログラム ●乗員:2名
http://vspgnet.web.fc2.com/yama-kairyu.html

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子供の頃からのゼロ戦ファンで、小さい頃よくノートにゼロ戦の絵を描いていました。(年代がわかってしまう・・・)アメリカの飛行機を次から次へと撃墜するゼロ戦の戦歴に憧れたもので、大きくなったら飛行機に関係する仕事に就く夢を抱いていました。

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斜め後方からの戦艦大和の勇姿


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この角度から見るゼロ戦も美しい姿をしています。


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斜め前方からの戦艦大和の勇姿


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どの角度から見ても美しい形をしています。


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海軍カレーです。といっても、これのどこが海軍カレーなのかよくわかりません。自分のイメージとしては、ジャガイモとにんじんがごろごろしているといったイメージを強く持っていました。このカレーは自分にとって「普通のおいしいカレー」です。写真の一部に「大和ミュージアム」のチケットがなければアレ~この写真の意味は何??? てかんじですね。

海軍割烹術参考書によるオリジナルレシピは以下の通り. 【材料】:牛肉(または鶏肉)、人参、玉葱、馬鈴薯、塩、カレー粉、小麦粉、ヘット(牛脂)、米、スープ、チャツネなどの漬物 【作り方】 1.まず米を研いでおく。 2.肉、玉葱、人参、馬鈴薯を賽の目に切る。 3.ヘットを敷いたフライパンで小麦粉を煎り、きつね色になったらカレー粉を加え、スープで薄めのとろろ汁の濃さに延ばす。 4.2の肉野菜を炒め、3に入れて火に掛けて弱火で煮込む。馬鈴薯は玉葱・人参がほぼ煮えてから入れる。 5.先ほどの米をスープで炊く。炊き上がったら皿に盛る。 6.4で煮込んだものを塩で調味し、皿に盛ったごはんに掛けて供する 7.供する際「チャツネ」などの漬物を添える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC

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次の見学場所は、海上自衛隊呉地方総監部庁舎旧呉鎮守府(ちんじゅふ)庁舎です。

旧呉鎮守府庁舎。1907(明治40)年に竣工した地下1階、地上2階建て、延べ1,990m2 のレンガ石造の建築で、レンガと御影石(みかげいし)との調和がとれた、呉市に現存する代表的なレンガ構造物です。外壁はイギリス積みの積み方で、2階には柱頭に桜を彫刻した石柱が両側にあるなど、凝ったデザインと入念な仕上げが建物の美しさと重厚さを表現しています。毎週日曜日には一般公開されています http://www.kurenavi.jp/html/m000027.html

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日本中の古い建物が壊されつつあるなかで明治時代の建築物がきれいに残されています。特にこの地区はアメリカの空襲がひどく大変であった場所です。今現在こんなきれいな建物を見学できるということは感激ものです。


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若いエリート幹部の方が案内してくれましたが、台本を棒読みするたどたどしい説明状態でした。きっとこの人は、敵をやっつける能力はすばらしく高いものを持っているが、一般のおじさんおばさんを接客する能力は少し劣るのでしょう。がんばれ若者!


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正面玄関の内部です。


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鎮守府庁舎の裏側(こちら側は海側で海軍では正面となりますよって、こちらが本来の正面)から見た庁舎です。

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戦艦大和の記念塔

歴史の見える丘 軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に完成しました。この丘からは、「旧呉鎮守府庁舎(現:海上自衛隊呉地方総監部庁舎)」や呉で造られた戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができます。現在、ドックは埋め立てられ、上屋(骨組みは当時のまま)だけが残っています。また、大和の主砲徹甲弾や造船船渠記念碑、正岡子規の句碑などもあります。 http://www.kurenavi.jp/html/m000050.html
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正岡子規の碑がありました。

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旧呉海軍工廠(こうしょう)塔時計  1921(大正10)年6月、旧呉海軍工廠造機部屋上に設置され、終戦まで、呉工廠とともにその歴史の時を刻んできました。高さ約10mで、本体は一辺2.4mの立方体、四方には1.5mの文字板があり、電動親子式衝動時計としては、国産で最も古いもののひとつです。また、1日4回流れるメロディーは、毎年小中学生が作曲したものです。1981(昭和56)年呉市有形文化財に指定されています。

入船山記念館  旧呉鎮守府司令長官官舎(平成10年国重要文化財指定)を中心に、郷土館、歴史民俗資料館(近世文書館)等があり、呉の歴史をたどるにはまたとない施設です。  美術館とともに入船山公園の文化ゾーンを形成しています。 http://www.kurenavi.jp/html/m000001.html

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旧呉鎮守府司令長官官舎の正面

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応接間です

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食堂です

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東郷平八郎元帥が若い頃(大佐?)住んでいた住宅です。
我が国の神様のような人が住んでいた家ということは、とても貴重な文化財なので立ち入り禁止!と思われましたが、なんと「ご自由に中で休憩してください。」ということでした。恐れ多くてとても中に入って休憩しようという気にはなれませんでした。

東郷平八郎が、1890(明治23)年からの約1年7か月間、 呉在任中に住んでいた家の離れ座敷です。この建物は平屋建瓦葺きの木造の家で、宮原5丁目の正円寺の山手より、現在はこの場所へ移築・復元されました。1997(平成9)年5月に国の登録有形文化財に登録されています。

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今度は鉄のクジラ館の見学です。
この建物に入るのは今回が初めてです。クジラの見学に2~300円かなと思いましたが、ただでした。

日本で初めて、実物の巨大潜水艦を陸上展示する博物館「海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)」は、「潜水艦の発展と現況」や「掃海艇の戦績と活躍」などに関する歴史的な資料を通して、海上自衛隊の歴史や、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介する史料館です。  陸揚げされた実物の巨大潜水艦に乗艦することもでき、艦内には、艦長室や士官室などの艦内生活の一部が再現され、潜水中の環境や生活を疑似体験できるほか、潜水艦の構造を実際に「見て」、「触って」、「体感する」貴重な体験ができる史料館です。 http://www.kurenavi.jp/html/m000220.html

http://vspgnet.web.fc2.com/kure-akishio.html

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内部の通路はとても狭いものでした。図体は巨大ですが、内部はスモールです。


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結構機密と思える機器がたくさんあります。北朝鮮の工作員が見学に来たらどうするのでしょうか?結構心配です。

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外に出た所です。艦内部にあった潜望鏡はダミーではなく、棒の先にある口から実際見た風景です。と関係者から説明を受けました。実際、艦内の潜望鏡で見た風景が作りものと思う人はいるのかな?


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中は窮屈ですが、外から見る胴体は巨大です。


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のどが渇いたので、名物という塩ラムネを200円で買って飲みました。個人的にはこの味も悪くはありませんが、普通のラムネの方が好きです。(しかし、思い出にはなったかな)

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男たちのヤマトを見ましたが、この場所からヤマトに乗船する映像が出ました。戦争映画のロケに最適の場所です。

アレイからすこじま 国内で唯一、潜水艦を間近で見ることができる公園で、海上自衛隊の潜水艦と護衛艦がイカリを下ろしています。ここはその昔、呉が海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアです。周りは旧海軍工廠のレンガ建造物が並ぶレトロな雰囲気で、戦艦・大和も近くのドックで極秘に建造されました。時代は変わり、今はだれでも自由に散策を楽しめる公園になっています。   「アレイからすこじま」の名前の由来は、呉浦にあった周囲30~40mの「からすこじま」(大正時代に魚雷発射訓練場として埋立)という小島の名称と、英語の小道(アレイ)からきたもの。緑とレンガ色に包まれたアレイ(小道)をゆっくり散策してみませんか? 旧魚雷揚げ下ろしクレーンもあります。

http://www.kurenavi.jp/html/m000008.html


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潜水艦のエンジンがかかっていて、黄色い排ガスがそこら中に立ちこめていました。今からどこかに出航か?試験運転か?特別な人への見学用か?


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4月30日は今回の旅行の第一目的地である「江田島の旧海軍兵学校」を見学する予定でした。ところがあいにくの雨です。HPを見ると雨が降ると見学を中止します。との記述があったため、泣く泣く見学はあきらめて、次の目的地の広島平和記念公園の見学です。


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南から見た世界遺産の原爆ドーム

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西から見た世界遺産の原爆ドーム

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北から見た世界遺産の原爆ドーム

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広島市内はどこへ行っても「NHK大河ドラマ 平清盛」状態です。

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昼ご飯は名物のお好み焼きです。駅前にある福屋の食堂街の五エ門ででお好み焼きを堪能します。この店はいつも大行列で大変な賑わいです。

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ビールを飲みながらのお好み焼きは最高です。この店は鉄板にあるお好み焼きを金属の小さいへらで切って食べることができます。なれない客は店の人に切ってもらいますが、自分は結構なれているので自分で切って食べます。

いつもは基本の「そば肉玉」ですが、今日は少し趣向を変えて「パワフルそば(ホルモン、ニンニク、しそ、肉玉」1050円を食べました。素直な感想として、最初の一口はなんておいしいのだろう!状態ですが、しばらくするとくどくなってきます。あまり余計なことをしないのが無難です。

個人的におすすめは、「そば肉玉にネギとイカ天のトッピング」です。

http://goemon.in/index.html


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