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旧海軍史跡巡り<軍艦「青葉」> [歴史探訪]

夏休みを利用して、広島呉、江田島地区の海軍の史跡巡りを計画しました。今回のテーマは、呉軍港周辺で沈没した軍艦です。
今頃なぜこんなテーマで調べることになったのかというと、先日の8月6日に海上自衛隊のヘリ空母「いずも」が横浜の造船所で進水式を迎えました。このヘリ空母は「ひゅうが」、「いせ」につづくもので3艦目の船となります。何気なくネットで調べてみるとこの同名の艦は旧海軍の軍艦にも名付けられており、偶然呉軍港の周辺で沈没し終戦を迎えたことが判明しました。そこで今回は、新生日本のため最後まで戦い抜いて沈んでいった鎮魂の場所を訪ねてみることにしました。


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第六弾として航空戦艦「青葉」を取り上げてみます。
「青葉」は呉の警固屋地区に係留されていました。

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今回は青葉が係留されていた対岸の伊勢が沈没した地点から撮影しました。

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警固屋地区には立派な「旧帝国海軍:巡洋艦「青葉」終焉之地碑」が建立されていました。
http://www.akinokuni.jp/g/201206aoba.html

青葉 (重巡洋艦)
青葉(あおば/あほば)は、日本海軍の青葉型重巡洋艦1番艦。三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造された。

就役:1927年9月20日
喪失:1945年7月28日、呉にて米軍機の攻撃を受け大破、着底
享年:18歳

排水量:基準:8,300トン → 9,000トン
全長:185.17m
全幅:15.83m → 17.56m
主機:三菱パーソンズ式タービン4基4軸 102,000馬力
速力:36ノット → 33.43ノット


第28代連合艦隊司令長官の古賀 峯一元帥が第五代艦長です。そして、後の中曽根総理大臣も乗艦していたことがあるようです。それから、偶然ですが古賀長官の年譜を見ていて気づきました。戦後わずか数百メートルの至近距離で沈んだ2隻の軍艦の艦長を務めていたのですね。

• 1930年(昭和5年)12月1日- 重巡洋艦「青葉」艦長
• 1931年(昭和6年)12月1日- 戦艦「伊勢」艦長

古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。太平洋戦争中の海軍乙事件にて殉職した。最終階級は元帥海軍大将(殉職後、特旨による授与)。佐賀県西松浦郡出身


艦歴

太平洋戦争開戦以前は日中戦争に出動し、上海上陸作戦の支援などを行っている。
<略>
第一南遣艦隊に所属しシンガポールへ進出、同方面で輸送任務に従事した。レイテ沖海戦では当初、日本軍第一遊撃部隊(通称栗田艦隊)に所属していたが、第二遊撃部隊に編成替えとなり、第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。1944年10月23日 ルソン島西方で米潜水艦ブリーム (USS Bream, SS-243) の雷撃を受け大破。右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した。「青葉」はこの状態で軽巡洋艦鬼怒に曳航され、マニラ湾に入港。その翌日にも米軍の空母艦載機による攻撃を受けた。同地での応急修理により5ノットの航行が可能となり、11月6日にサンタクルーズを出港、12月12日にかろうじて呉軍港に帰投した。

最期

潜水艦の攻撃で大破した青葉は呉で本格的修理を行う予定であったが、あまりも大きすぎる損傷のために修理の見込みが立たず、呉工廠近くに繋留放置されていた。
1945年3月に米軍空母機動部隊よる攻撃が開始されると、青葉も防空砲台として奮戦したが、7月24日に命中弾1至近弾1、28日に命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断状態となり、艦内は海水で満水となった結果ついに大破着底した。
そのままの状態で終戦を迎え、1946年11月より播磨造船の手により解体された。現在、海上自衛隊第一術科学校には、青葉の艦首に装着されていた菊花紋章が、大和ミュージアムに青葉の主砲砲身の尾部が展示されている。


http://mc-liners.main.jp/gunneta/gunneta24.htm
重巡洋艦『青葉』
第1次ソロモン海戦で米重巡4隻撃沈の大戦果を挙げた三川艦隊の1隻だった『青葉』ですが、その後はその幸運のツケを払うかのような不幸っぷり。
2ヵ月後のサボ島沖海戦では敵巡洋艦隊を味方と思い込んで「ワレアオバ♪」と無電を打ち、発光信号まで送りながら接近してフルボッコ。長期に渡る修理を終えて再び前線に出た所で空襲に遭い、かろうじて浅瀬に乗り上げて沈没を免れるほどの大損害を受けます。再び修理のために本土に戻り、ようやく復帰したと思ったら今度は潜水艦に狙われて魚雷を受けて航行不能に。味方に曳航されてかろうじて港に戻った所に更に空襲を受けて小破。それでもなんとか国内に戻る事が出来ましたが、あまりのダメージに修理の目処が立たずに呉港沖に放置状態。最期は身動き取れない所を呉空襲の際に滅多打ちにされて大破着底。傷だらけの生涯を終えました


http://blog.livedoor.jp/irootoko_jr/archives/877268.html
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重巡洋艦青葉型『青葉』
(昭和2年7月23日)
全力予行運転中

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第7戦隊旗艦時の重巡洋艦『青葉』
背後の空母は改装後の『加賀』
(昭和11年4月8日 寺島水道)

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呉市警固屋海岸に擱座する重巡洋艦『青葉』
(昭和20年 敗戦後撮影)
アメリカ軍の目をから艦を守るために樹木を使った擬装が行われていたようです。

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戦後撮影された動画です。
東を向いた主砲を見ると、山越しに攻撃を仕掛けてくる航空機に向けて火を噴いていたのかなと勝手に想像しています。停泊していたこのあたりは民家が多いので、民家への被害もたくさんあったのではないでしょうか。
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